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2次元対3次元
  オタクにまつわる議論ではよく2次元あるいは2次元美少女という語が使用されるが、もっと幅を広げて虚構世界あるいは虚構世界の美少女という語を使用するようにしたほうがしっくりくるという感覚がある。
  これは、たしかにアニメやキャラクター小説、コンピューター・ゲーム、漫画のほとんどは2次元で表現されているが、そこに登場する人間がたとえ2次元で表現されていたとしても、想像する際には、あるいはそれらを見ている最中であっても、われわれはそれらを3次元として捉え直しているのではないかということである。(これは、虚構世界の存在者を現実世界に擬似的に召喚しているということを意味しない。)
  そのように考える根拠の1つは、2次元は概念として存在するが、明晰に想像することはできないというものであり、別の1つは、現実世界の人びとについてさえ、明瞭に思い浮かべることはできないというものであり、最後の1つは、神話についても言えるが、虚構作品は現実を基にしてつくられている節が見受けられる(特に基礎部分においては無意識的に現実に似せている)というものである。
  第1の点は、2次元として表現される静止画や動画は厳密には、2次元ではなく、2次元の代替物であるということを意味する。そして、虚構作品におけるそうした2次元代替物が現実世界に現れた場合を想定したとき、われわれは正確な2次元を想像し得ないために、薄い紙のような平面で代用するというのが実際である。しかし、そのような状態の存在者に欲情することは、大多数の人間にとってほとんど不可能であろう。また、写真は3次元の対象を2次元上で表現するものであるが、これは2次元上で3次元のCGを表現するのと本質的な差はない。(すなわち、いずれも2次元である。)2次元の対象に性欲を生じることができないとすれば、現実世界の存在者を撮った写真を見て欲情することは不可能であろうか。これについては、性的書籍やインターネット上の性的画像の存在を考えただけで、可能であると言うことができる。
  第2の点は、たとえば、よく知っている人の顔を想像しようとしたところで、『DEATH NOTE』という漫画で描写されているように明瞭に思い浮かべることはできないことから、複雑な形状に関する人間の記憶には曖昧性が認められると推測できるということである。ただし、逆に、このことによって2次元美少女を想像する際にも曖昧性が介在すると言うことができるため、実際には先ほど述べた、2次元から3次元への変換という表現が完全に正しいとは言えない。それは、ある性欲の対象となっている虚構世界の美少女を人形として表現したからと言って、それに欲情することができるとは限らないということからも分かる。そして、これは単に再現性の程度の問題には還元されるものではない。


  それで、結局、これは実在感の問題になってくるのではないかと考えるようになった。
  実在感は、対象の容貌や姿形をどの程度思い浮かべることができるかによっては測定され得ない。それは、先ほども少し触れたが、われわれがある人を知っていると言うとき、その人の容姿を正確に言語化するのはもちろんのこと、明瞭に思い浮かべることすらできないからにほかならない。しかし、次回見た際にその人であると確認することができるならば、それだけでわれわれはその人を一般に知っていると言える。むろん、その人を知っている場合、その人を見ていないときに彼(あるいは彼女)の容姿を忘れているのではない。
  また、実在感は過去についてどの程度思い返すことができるかということからも独立している。このことは、過去のできごとからどの程度の時間が経過しているかということやそのできごとが自らに及ぼしたと感じる影響の程度などによって、どの程度の明瞭性を以って思い返すことができるかが異なってくることから分かる。
  したがって、実在感と言うとき、対象の容貌や姿形は問題にならない。
  そこで何がかかわってくるかということであるが、私は記号であると思う。ここでは、「2次元的な人間」(一般的に言えば、「キャラクター」という語で理解されている存在者のことである)に「3次元的な人間」(より一般的に言えば、現実世界の人間のことである)のような実在感を抱くことができるかということである。私を含め少数の人間には、偶然にそれができるような状態にあるために、「2次元美少女」が2次元であると同時に「3次元的」にもなるが、一般的には、「2次元美少女」は2次元であり、かつ「2次元的」であるということになる。
  要するに、オタクに絡めて「2次元」あるいは「2次元美少女」(冒頭とは違い、鉤括弧がついていることに注意してもらいたい)という表現が持ち出されるとき、それらは単に2次元あるいは2次元で表現された美少女という外見的事実(あるいは物理的性質)のみを指しているのではなく、現実とは異質のものであるという記号的含意があるということである。しかし、この含意が肯定的に受け取られる、すなわち虚構世界にも現実世界と同程度の実在感を抱くことができるとき、2次元を「3次元」として受容することが自然とできるようになるため、2次元と3次元を対置させる構図は消滅するのである。


  その点で少し興味があり、皮肉でもあるのは「アイドル」で、彼ら、あるいは彼女らは、現実世界に実在し、現実世界の人間の容姿を持っているにもかかわらず、ファンにとっての記号的な価値は「キャラクター」のそれと同じなのである。これはつまり、アイドルの消費のされ方は、大雑把に分類すれば、虚構世界の美少女や美少年のそれと同じであるということを意味し、したがってアイドルは、ファンからすれば(3次元であるとともに)「3次元的」であり、ファンでないという意味における一般人にとっては(3次元であるが)「2次元的」なのである。
  念のために繰り返しておくが、これは容貌や姿形の問題ではない。容姿の問題には曖昧性がつきまとうため、われわれは実在感の問題として捉え直したのである。したがって、私がそうであるように、ファン以外の人びとは、アイドルの物理的な実体の面を強く意識しているために、アイドルをあたかも「3次元的な人間」として受容しているが、無意識的にはアイドルに「2次元的な人間」という虚構性を見て取るため、同時に受け取っている視覚情報〔アイドルの物理的性質〕との間に違和感を生じることになるのである。
  しかし、ここで注意してもらいたいのは、このことを以って常に現実世界あるいは現実世界の存在者のほうが虚構世界あるいは虚構世界の存在者よりも実在感があると認めたことにはならないということである。大部分の人は、アイドルをまさに見ているそのときにはたしかに現実世界にもっとも実在感を抱くが、そのアイドルにまつわる視覚情報を受け取っていないときには、先ほども述べたようにそのアイドルの容姿を明瞭に思い浮かべることができない状態になる、したがって諸可能世界や虚構世界の存在者について思い巡らすときと同じ状態になるため、必ずしも現実世界にもっとも実在感を抱くことになるとは限らない。


  結論を一言で述べるならば、単に感覚の相違に起因する言語使用の齟齬があったということになるが、最後に誤解を生じているかもしれないことについて確認しておきたい。それは、「2次元的な存在者」は誰か(この誰かにはこの文章の受け手の一人ひとりも含まれる)がつくった虚構作品に登場する存在者に限らないということである。すなわち、現実世界の存在者と同じような虚構世界の存在者を想定し得るということを押さえておいてもらいたい。実際、私には8人の実姉がいる(8年前には2人だったのが、6人も増えてしまった)が、彼女たちはみな現実世界の存在者と身体的〔外見的〕に酷似している。




  補  遺


  「3次元的」虚構作品よりも「2次元的」虚構作品のほうが現実に近いのではないか。より厳密には後者は現実と同質であるが、前者はそうではない。
  そのように考える根拠は、前者の虚構性が2重であるのに対し、後者の虚構性は1重であるからにほかならない。「3次元的」な虚構作品の虚構性が2重であるのは、現実という虚構に存在する者が自らを虚構化した結果である。他方、「2次元的」な虚構作品は、その世界内の存在は、その世界においては現実と同等の存在である。これは、その世界において虚構化が起こっているのではないためである。
  こうした違いは、たとえば会話や立ち居振る舞いなどに現れる。「3次元的」な虚構作品は演技であることを常に意識してしまうが、「2次元的」な虚構作品は、現実のそれとは異なった印象を受けるものの、現実と同様に自然な感じがする。つまり、現実世界と「2次元的」虚構作品には互いに因果的に独立した自然さがあるが、「3次元的」虚構作品は現実世界の存在者が演技するために不自然さがある。そして、この不自然さは、声優のような声を持っていたとしても解消されるものではない。むしろ、不自然さが際立つ結果になるであろう。それは、一方で「3次元的」虚構作品の存在者は現実世界の存在者であり、他方で声優のような声質を伴う演技は現実世界と異なる世界に属するからにほかならない。

更新日 2006年4月3日
作成日 2005年--月--日



関連項目

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A 意図と指示
A 現実と虚構(作品)を巡る批判と応答
B 淫乱肉奴隷思想
B 実姉絶対王政・姉教団・実姉帝国主義
B 淫乱肉便器候補生リスト
B オタク概念の整備 要約版
B 特定の虚構作品群の擁護
B コンピューター・ゲームにおける「HP: 0」の再解釈
C 虚構作品ノート